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東京高等裁判所 昭和63年(う)1096号 判決 1989年7月03日

本籍

東京都品川区豊町一丁目一二三一番地

住居

同都世田谷区桜丘三丁目二九番三三号

シティハイム桜丘二〇二

無職

舟越則夫

昭和一六年一一月二〇日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六三年八月一九日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官平田定男出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人黒須雅博名義の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用するが、所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当であるというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、杉本商店の名称を用いパチンコの景品交換業を営んでいた被告人が右事業の経理全般を掌理していた妻と共謀の上、所得税を免れようと企て、仕入の水増計上をするなどの方法により所得を秘匿し、昭和五七年及び同五八年の二年分に関する実際所得の合計額が一億九〇〇〇万六七三七円もあったのに、その合計額が三七〇〇万四二六二円であり、これに対する所得税額は合計一〇六七万二九〇〇円である旨を記載した内容虚偽の各確定申告書を作成し、これを所轄税務署長に提出して、正規の所得税額と右申告税額との差額である合計一億三万六四〇〇円の所得税を免れたという事案であって、その逋脱額が巨額である上、二年分を通じた逋脱率も九〇・三五パーセントと高率であること、被告人が本件犯行に及んだ動機は、暴力団の組長らに支払う上納金、豊かな生活をするための費用あるいは他の職種への転業資金等を得ようとしたことによるものであり、現に本件逋脱によって得た金員から暴力団の組長らに多額の上納金が支払われているほか、その金員で被告人や妻が別荘、貴金属、高級車等を購入し、更に多額の遊興費にも費消されているけれども、右のような動機には何ら酌むべきものが認められないこと、被告人は、本件所得税の申告に際し、担当税理士からその所得額及び税額について説明を受けており、そして、それらの額が被告人の予想よりはるかに少ないことに気付いておりながら、そのまま申告したばかりでなく、本件について国税当局から査察を受けた際、妻と相談の上、査察官に終始脱税をしていない旨虚偽の供述をし、本件により逮捕勾留された後、漸く自供するに至ったものであるほか、長期間にわたって所得を秘匿するなど被告人の納税意識が著しく低下しており、その犯情は極めて悪質であること、後に取り下げたとはいうものの、本件所得税の更正決定に対し異議の申立てをし、未だに本税のみならず付帯税も完納していないこと、以上の諸事情に照らすと、被告人の刑責は重いというべきである。

したがって、被告人は、本件犯行の重大性を認識し、深く反省していること、所有する資産を売却するなどして本税はもとより、その他の加算税等も納付する決意でいること、原審において被告人の納税に協力する旨述べていた妻が、原判決後一転して態度を変え、全く誠意を示さないばかりか、被告人に別居を強要した上、本件景品交換業の経営に関与できなくさせたこと、被告人には業務上過失傷害罪による罰金前科一犯があるのみで、他に前科前歴がないことなど、所論指摘の被告人に有利な諸般の情状を十分斟酌しても、被告人を懲役一年二月及び罰金三〇〇〇万円(逋脱額の二九・九九パーセント相当)に処した上、三年間右懲役刑の執行を猶予した原判決の量刑が重過ぎて不当であるとは到底考えられない。

所論は、被告人が景品交換業を経営していたというものの、その事業収益は妻に握られていて、被告人は単なる従業員に過ぎず、脱税した利得の大半も暴力団に喝取され、あるいは妻が浪費している上、三越デパートは同店に口座を開設させることを好餌とし、その優越的地位を利用して、明らかに脱税を助長させて不当な売付けをなし、また、取引銀行も営利のため被告人に相談することなく妻を介して不正の貸付けをし、更に顧問税理士に至っては被告人の税務申告が虚偽であることを熟知していながら注意をしないことは勿論、経理や税務上の指導もほとんどしないで、妻とのみ相談していたのであって、これらの者は私欲のため被告人を食い物にし、かつ、脱税を助長していたものであり、いわば被告人は被害者であって、一人被告人のみが処罰されることは不公平である旨主張する。

しかしながら、被告人と茂子とは昭和四二年五月三一日婚姻したものであって、その当時、主婦として家事に専念していた妻茂子が同五一年ころに至って、被告人の営んでいた景品交換業を手伝うようになり、以来伝票や帳簿の整理あるいは資金の管理をするようになったため、本件当時、被告人は専ら現場の営業を担当し、妻は右事業の経理全般を掌理していたこと、妻は勿論被告人も本件脱税によって得た金員の相当部分を費消していること、夫婦仲が悪化し被告人が家を出て一時妻と別居するようになったのは昭和六一年二月ころであることなどが記録上明らかであって、これらの事実に徴すると、本件犯行当時、被告人は、単に納税義務者としての名義人に留まらず、右事業に関する実質的な所得の帰属主体であったものというべく、したがって、名実ともに景品交換業を営んでいた被告人としては、妻がその収益を管理しこれを浪費していたとしても、そのことを諌めずこれを黙認して来た責任は事業主たる被告人にあることは明らかであり、また、暴力団に対する上納金の支払いが喝取に当たるとしても、警察にその旨の被害届を出した形跡が認められないばかりか、気丈な妻は暴力団員の要求に応ぜず、右要求を撥ね付けたことがあるにもかかわらず、被告人は景品交換業を継続したいがためにその支払いに応じて来たことが窺われるのであって、右のような事情は、いずれも被告人の本件脱税を正当化する事由とは認められない。更に、三越デパート、取引銀行、顧問税理士らが私欲のために被告人を食い物にし、脱税を助長して来たとの点については、記録を調査しても、これを窺い知ることが出来ないから、この点に関する所論はその前提を欠くものといわなければならない。論旨は理由がない。

なお、原審記録を調査して検討してみても、原判決の認定判示した事実はすべて正当として是認することができ、その事実認定に誤認がないことは勿論、法令適用の誤りをも見出すことはできない。

よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 寺澤榮 裁判官 朝岡智幸 裁判官 新田誠志)

○控訴趣意書

昭和六三年(う)第一〇九六号

被告人 舟越則夫

右の者に対する所得税法違反被告事件の控訴趣意は、次の通りである。

昭和六三年一一月一一日

弁護人 弁護士 黒須雅博

東京高等裁判所 刑事第一部 御中

原判決は、以下の事実を勘案すれば、量刑不当である。

一 被告人は、形式的には納税義務者ではあるが、本件脱税行為を行った昭和五七、八年ころより、店舗の営業活動を専ら担当しており、その事業収益金の管理、資金繰り、銀行からの借り入れ等、会社の運営行為は妻である舟越茂子が掌握しており、事業の実権は妻である舟越茂子(以下茂子という)が握っていたものである。

(一) 被告人は、昭和四二年五月三一日舟越茂子と結婚し、同五一年渋谷区道玄坂にパチンコ景品両替所を再開し、茂子も帳簿付け等の経理事務や資金の管理等を手伝うようになった。(舟越茂子の昭和六三年二月五日付調書八項、以下茂子調書という、同年二月一七日付調書)

しかし、同五五年ころ、既に被告人夫婦の仲は冷え切って、必要最低限の会話しかしない状況となり、同六一年には別居するに至っていた。

(二) 被告人の同五七、八年ころの日常生活は、以下の様なものであった。

午前九時ころ銀行に架電し、当日両替に必要な金額、金種を指示し、同一〇時半ころ渋谷の店に行き、店の清掃等の開店準備、そして朝指示した現金を受けとり、その確認をする。そして、同一一時に開店し、被告人は各パチンコ店を回り、納品した景品の確認をしたり、情報収集や営業活動をした。午後一一時四五分に閉店した後は、残現金の収納、店内に残った景品個数の確認をし、更に帰宅後は当日の売上げ、及び資金の動きを示す整理メモを作成し、午前一時半ころ就寝する。

(被告人の同六三年二月八日調書)

(三) 一般客から購入した景品は、景品問屋に納入し、その代金は問屋から小切手で受領し、直ちに現金化し銀行に入金していた。

又、経理は前記した整理メモを基に、茂子及び使用人にて作成し、同五七年ころからは手島税理士を依頼することとなった。(被告人同六三年二月八日調書)

(四) 事業からの収益は前記した如く、直ちに被告人の銀行口座に入金され、その預金の出入等の管理、及び経理は茂子が掌握し、銀行からの借り入れ(但し、被告人の景品両替という事業上、多額の借り入れの必要はなかった)定期預金の預け入れ等、銀行との取引交渉は全て茂子が被告人に相談なく独断で行っていたものである。(高橋義則の同六二年一一月二六日、同六三年二月一七日各調書)

この為、被告人は銀行借入金については全くと言っていい程知らず、査察の取調べで初めてその額を知った程であり、(被告人同六三年二月一八日調書)更には査察後、被告人は地道な商売をやる資金を蓄える目的で脱税をしていたことから、納税する金はあると思っていたところが、茂子のデパートでの買物等による浪費により、全く資金が無いことを初めて知る程であった。(被告人同六三年二月一三日調書四項)

又、経理、税務申告についても、茂子と手島税理士が相談して行っており、被告人にはほとんど相談がなく、最終的な税務申告の直前に売上高、所得額、税額を簡単に税理士から報告を受ける程度であった。(被告人同六三年二月一五日調書二〇~二二項)

(五) 以上の如く、本件の責任は被告人にあることを否定するものではないが、実体的な被告人の立場は、同人が店という現場で働き、稼ぐだけの立場になっており、その収益は全て茂子が掌握していたのであり、例えれば、被告人は働き蜂であり、茂子は女王蜂というべき立場であり、被告人と茂子の地位は、表面的には被告人が代表者ではあったが、実体はこれとかなり相違していたものである。(同調書二〇項等)

二 被告人は、同五七年に三三五二万円余、同五八年には六六五〇万円余合計一億円余の所得税の支払を免れているが、その金は何ら預金、不動産等の資産としは残されていない。

脱税をして利得した財についての、同五七、八年度における費消は、一件記録からも明らかな通り、

第一は国粋会落合一家関谷組々長である関谷耕造に喝取されたものである。その金額は、同五七年四月以降、毎月一二〇~三〇万円、同五八年一、二月は各五四〇万円づつ、同五八年三月から、同六一年八月までは、毎月二九〇万円の多額に昇っている。又、暴力団員である伊藤には、同五八年七月から同六一年八月まで毎月三二〇万円である。(被告人同六三年二月一三日、同月一七日調書 伊藤俊治、関谷耕造の各調書)

第二には茂子の浪費であり、被告人はほとんど右不正の利得により得たるものも、費消したものもない。この茂子の浪費の主だったものは、同五七年度においては、衣服費五三七万円余、デパート買物代二八七九万円余、支払利息一一七二万円余(以上合計)であり、同五八年度においては、貴金属(キャッツアイ)三三〇〇万円、デパート買物代三四八一万円余、支払利息一二〇五万円余、衣服代五二九万円(甲第八号証同一四号証)であり(以上合計)、これらはいずれも茂子にて費消したものである。又、支払利息についても、事実上、多額の借入れの必要はなく、多額の借入れを要したのは、茂子が三越デパートを中心に多額の買物をした為に外ならない。(被告人同六三年二月一五日証書四項同年二月一八日調書一項)

茂子のこれらの浪費を止めえなかった被告人の責任は免れえないものではあるが、前記した如く、既に被告人夫婦の仲は冷え切っており、又、資金関係は全て茂子が掌握していたこと、そして、被告人が注意しても勝手な茂子はこれに従わず、被告人が茂子を押ええなかったとの事情がある。例えれば、当時の被告人の妻は「ソクラテスの妻」とも言うべきものであろうか。

三 更に前記した如く、暴力団に多額の金を喝取され、又、茂子の浪費の為、不正に利得した財も全て費消されてしまった為、不正の利得は全く残らなかった。又、同六一年二月には被告人は茂子ら家族とも別居を余儀なくされると共に、名実ともにこれまで営んできた景品両替の事業からも追い出され、生活にも困窮する状況となり、店は完全に茂子が運営することとなった。そして、未払いの税金は、茂子にて支払い方をすることとなっていたが、運悪く同年三月には前記関谷より店舗を閉鎖する様脅され、更に同人をバックとした武田商事が近くに同種の店舗を開店し、競争関係に立ち、しかも不当な方法により、被告人の店舗を崩しにかかった為、経営不振となった上、営業継続する為、手持資金を使用するに至った為、遂に納税が出来ない結果となってしまった。

そして、被告人は原審以来、茂子と共に何とか納税をせんと努力しているが、遺憾ながら未だ果たせずにいるものである。

四 本件犯罪の動機は、被告人自身も人並以上の暮しをしたいと思ったことも、その一因であることは被告人も認め、反省する所である。

しかしながら、その主因は暴力団から脅され、毎月多額の金を支払わされる為、その裏金を作らなければならないことであった。(被告人同六三年二月一三日調書)

論告によれば、被告人は暴力団に多額の資金を提供したとして、厳しく非難に値するとする。

確かに被告人が暴力団に資金を提供する結果となり、その責任は免れられ得ないことは論告説示の通りであるが、被告人は査察を受けた後の同六一年七月二四日にピストルで撃れる(但し、幸い身体には命中しなかった)という具体的危険にあい、又、同五八年には、関谷に執拗に脅かされて狭心症になって病院に入院するに至っている。(前同調書)

被告人としても、当然暴力団に資金を提供したかったのではない。論告にも説示される如く、パチンコ業界が暴力団の重要な資金源になっていることは、周知の事実であるにもかかわらず、警察は全くと言っていい程、何ら被告人を保護することすらしていない。(そして、関谷が前記する如く、四年余に亘り、一億四〇〇〇万円にも昇る巨額の金員を喝取しておりながら、何らの捜査、刑事処分もしていない)

そして、単なる一市民にすぎない被告人に対してのみ、前記論告の如く、強い非難をされることは、承服しえない所である。

五 本件の顛末を総覧すると、前記した如く、被告人は事業収益の管理及び経理を全て茂子に握られ、単に労働に従事したことに帰着し、脱税をした利得も大半は暴力団に喝取され、又、茂子に浪費された結果となるが、これらはいずれも少なからず被告人にも責任がある所である。

しかしながら、三越デパートは、デパートに口座を開設させることを好餌とし、正にその優越的地位を利用して、明らかに脱税を助長させ、不当な売りつけをなし、自己の利得を得てきたもので、正に三越の悪徳商法の最たるものである。

又、銀行も自らの営利の為、不正な貸付を起すことは勿論、その貸付に当り、借主である被告人に何らの確認もせず、茂子が被告人を記名し、且、その押印をした書類で貸付を起し、更には積極的に架空名義の預金を作っている。

これは、被告人に事実を話せば、貸付がだめになることを考慮し、故意に被告人に話さなかったものと推測される。

更には、元税務署長であり、本件当時被告人の顧問税理士ですら、被告人の税務申告が虚偽で脱税をしていることは熟知しながら、被告人に注意しないことは勿論、納税義務者となっている被告人と経理、税務上の指導、協議をほとんどせず、茂子とのみ相談をしていた有様である。しかも、前記した如く、被告人と茂子の仲は冷え切っており、日常ですら必要最小限の会話しかしない状況下にあり、且、経理、預金を茂子が掌握している状況下では、なお更納税義務者である被告人と密なる相談をするべきことは明らかであり、その上、自らの顧問先である農協へ、被告人の資金を預金させており、その金額からして、自ら作成した申告額で預金しえないことは明らかである。

これらの者は、いずれも正に、私欲の為に被告人を食い物にし、且、脱税を助長したと言われても仕方なく、一面において、被告人もこれらの者の被害者とも言えよう。

しかるに、これらの者の誰一人として、刑事上、民事上、そして社会的にも、何らの責任をも追求されておらず、一人被告人のみが罪を負わされていることは、正に社会的には不公平と言わざるを得ない。

昭和六三年(う)第一〇九六号

被告人 舟越則夫

平成元年五月一七日

弁護人 秋廣道郎

同 大島久明

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

○控訴趣意補充書

頭書被告人に対する所得税法違反被告事件につき左記の通り、昭和六三年一一月一一日付黒須雅博弁護人の控訴趣意書につき、新たな主張を加え、補充する。

原判決には左の通り、重大な事実の誤認、法令適用の誤りがあり、その誤認は判決に影響を及ぼすことが明白であるから、原判決は破棄されるべきものである。

第一 被告人は、本件所得税法違反事件につき昭和五七年及び昭和五八年の各所得税確定申告時において、舟越茂子(以下単に茂子という)と共謀し所得税を免れようと企て、仕入の水増し計上をする等の不正な方法で所得を秘匿し、公訴事実第一及び第二掲記の所得税額を免れようとしたことはなく、被告人が仕入の水増計上即ちリンク商品の仕入金額が真実は一ケ「三〇〇円」であるのにこれを「三二〇円」に水増しした帳簿、書類を作成し、虚偽の過少の所得金額を申告した事実を知ったのは、昭和五九年六、七月頃茂子からその旨を聞いた時であり、本件所得税法違反につき被告人には、所得の秘匿の意志も、正規の所得税額を免れる意志もないものであり被告人は無罪である。

一 被告人の重大な告白

被告人は、平成元年三月一七日、弁護人秋廣道郎に対し、左の通り重大な告白をするに至った。「私は、妻舟越茂子と共に、所得税法違反の罪で起訴され一審判決で、懲役一年二月、罰金三〇〇〇万円の判決を受け、現在控訴中ですが、一審以来私は真実は、所得税法違反の罪について、全く関与しておらず、これを知らされたのは、国税局の査察が捜査し始めたころであったのですが、その後、私も妻も逮捕拘留されるに至り、妻が一人で脱税をしたことになると、重い刑を受けることは明らかであり、長期に服役することになれば三人の子供の養育も困難となり、家庭生活が崩壊しかねないと考え、私もはじめから知っており、むしろ私が脱税を指示したと虚偽の自白をしてきたものです。ですから、私の弁護人及び弁護方針は、全て妻茂子とその弁護人中村先生が打合わせをして決めて来たもので、私の弁護人に黒須先生がつくことも中村先生が決めたものであり、弁護士費用も全て茂子と中村先生で決め、私は一銭も負担しておりません。私と妻茂子とは、一審の裁判中に私が罪をかぶるかわり、罰金は妻が責任をもって支払うとの話し合になっておりまてたが、妻は一審判決で自分が執行猶予の判決を受け、罰金も免れると、一転し、罰金は払えない、と言い出し、黒須弁護人を介して離婚したいと言い始めたのです。私は妻にだまされたのではないかと不安になり、私の田舎の長兄に相談したところ、別の弁護士をお願いした方がよいと言われ、兄の紹介で先生に事実を話すのです。」というものであった。

二 右告白は、重大なものであったため弁護人としては、再三にわたり被告人より事情を聴取し、且、黒須弁護人より一件記録の交付を受け、検討した結果、後に詳述するように被告人の告白には、「杉本商店」の営業の実態、被告人と妻茂子の役割、営業利益の使途、帳簿書類の作成の状況、確定申告手続の実態等の客観的事実に多く符号し、其の合理性を裏付けるものが多々ある事が判明した。一審において提出された捜査記録は、全て、被告人の虚偽の自白を基礎として取調官の作文の上に成り立ったもので、犯行の動機、犯行の手口、態様、共謀の内容については全く事実に反するものであるが、帳簿、書類等の他、押収した客観的書類、金融機関、従業員等の供述調書等については、これらを仔細に検討すると被告人が、本件犯行に直接関与しなかった事を裏付ける多くの事実が湧出してくるのである。

三 控訴申立理由の新たな主張

被告人の右告白に基づく、「事実誤認の主張」は、控訴趣意書提出期限後の新たな主張の追加ではあるが、被告人の右告白は犯罪の成否にかかわる重大なものであり、右主張の真否を調査しないとすれば著しく正義に反すること明らかであり刑訴法第三九三条第一項、同第三九二条二項に基づき、被告人の「事実誤認」の主張にわたる事実の調査を当控訴審は職権をもってなすべきものと思料する。特に、重大なことは、原審において採用され取調べられた供述調書のうち、犯罪の成否に直接かかわる手島光春、菊地圭子、栗山昭子、梶間勝美らの供述調書は、何ら反対尋問にさらされることなく、捜査官の心証通りに証拠として採用されているもので、事実を明らかにする点では極めて不十分、不徹底なものといわざるを得ないものであり、当控訴審において、是非とも取調べられるべき証人である。又、妻茂子の供述調書及び公判廷の供述も、前後矛盾が多く、改めて、当控訴審において、新しい弁護人の尋問にさらされるべきものである。

第二 弁護人の主張

本件控訴理由の「事実誤認」の主張の具体的内容は左の通りである。

第一に、被告人は、本件所得税法違反の昭和五七年及び五八年のいずれの罪についても所得税を免れるとの故意はなく、被告人は無罪である。

即ち、被告人は、パチンコ景品交換を営む「杉本商店」の専ら、景品両替所における景品の買い取り、買い取った景品の卸業者への納入を、梶間勝美、古屋照太郎、廣津留京子らを使い行っていたものであるが、右景品の売上金の管理、銀行への出入金、売上利益の使用、帳簿の作成並びに会計処理、税務の申告手続は全て茂子が行っていたところ、昭和五七年及び五八年の「杉本商店」の所得税の申告に当り、茂子は所得税を免れるため、仕入れに相当するリンク商品の購入価格を一ケ当り「三〇〇円」を「三二〇円」と虚構し確定申告したのであるが、被告人は、茂子が右申立当時リンク商品の仕入価格を「三二〇円」に虚構し伝票、帳簿書類を手島光春、栗山昭子、菊地圭子らが作成している事実を知らなかったものであり、脱税の認識も不正行為の認識もなく、従って、所得税法第二三八条所定の故意がなく、無罪である。

第二に、本件所得税法違反の納税義務者である「杉本商店」の名義上の代表者は被告人であるが、後に詳述する通り、茂子は右「杉本商店」の売上の管理、金融機関に対する資金の出し入れ、資金の運用、並びに経理対策、所得税の申告更には利益の処分等のいわば営業の最も核心を、自ら決定し自ら運営していたもので、昭和五五年茂子が、納税手続を被告人に代わって行い、売上金の管理を始めたころからは、「杉本商店」の営業主は茂子になったものであり、被告人はその後は「杉本商店」の単なる名義上の代表者に過ぎず、その実体は、景品所責任者というのがふさわしいものであった。従って、所得税法上の納税義務者は、茂子であり、罰金の科刑上の主体も茂子というべきであって、被告人に三〇〇〇万円の罰金刑を科したのは、法令の適用に誤りがあり、その誤りはまさに判決に影響を及ぼすこと明らかである。

第三 被告人が、いわゆるリンク商品の仕入価格を三二〇円と虚構することについての認識を有せず、かつ、右虚構により昭和五七年分及び同五八年分確定申告について脱税をするとの認識を有しなかったことは、原審取調べの各証拠から見ても明らかであり、被告人には、右各脱税について所得税法二三八条に定める刑罰を課すべき理由がない。

一 まず、本件犯行があったとされる昭和五七年から同五八年にかけての時期、被告人には、被告人が経営者であったとされる杉本商店において、自ら脱税をすべき客観的立場になかった。

1 すなわち、杉本商店の営業における被告人と原審相被告人舟越茂子との仕事の分担関係において、被告人が担当した業務は次の通りであった(被告人の昭和六三年二月八日付検察官面前調書一六丁ないし四七丁)

<1> 朝、被告人方で梶間勝美(以下梶間という)と相談の上、その被告人の元金(パチンコ客からのリンク商品の買取資金、仕入元金)の額を決定し、その間、古屋照太郎、田中らが前日仕入れた景品の個数を確認し、景品問屋別に四枚綴り(請求書、納品書、納品書控、物品受領書)の納品書に記載する。

<2> 日本信販信用金庫世田谷支店(以下日本信販信組という)に電話で、右元金額、金種並びに同金員を受取りに行く者の氏名等を連絡する。

<3> 午前一〇時ないし一〇時三〇分の間に道玄坂二丁目の鳥市会館所在の景品交換所に出かけ、同所の清掃や景品詰め用の空箱の整理をする。

<4> 日本信販信組から元金を受領して戻った梶間等から同金員を受取り金額を確認する。

<5> 午前一一時に店を開店し、午後一一時四五分ころの閉店までの間、景品交換の業務を大山ミス子、廣津留京子らに引き継ぐ。

<6> 店が開店した後は、パチンコ店を回って空箱の回収やパチンコ店の出玉率や景品問屋の情報収集を行い、自分の店で交換した景品をライトバンに積み込む。また、パチンコ店からストックの景品が不足したので臨時に納品して欲しいという要求があった場合には、急遽景品を納品する。

<7> この間、古屋照太郎と田中が、前日仕入れた景品を景品問屋に納品し、かつ、代金を回収して回る(回収した代金は、直ちに最寄りの銀行から日本信販信組に振込送金していた)。

<8> 景品交換所が閉店した後、当日用意した現金の残額を収納し、当日交換した景品の個数の確認した上、ライトバンに積込み、

<9> (a)当日の仕入れを景品問屋別に整理した個数と(b)当日仕入以外に使用した経費を記載したメモ(雑記メモ)を作成する。

<10> 雑記メモと残金並びにライトバンに積み込んだ景品を自宅に持ち帰り、自宅で景品の整理を行うと共に、

<11> (a)前記雑記メモにより当日仕入れた景品を景品問屋別に整理した個数、(b)当日の仕入代金総額、(c)計算上の残額、(d)現実に当日持ち帰った残金との過不足、(e)集金担当者である古屋及び田中から報告を受けた当日の集金額(四枚綴りの納品書のうち持ち帰った納品書控及び物品受領書によって確認)、という(a)ないし(e)を記載した整理メモを作成し、同メモと持ち帰った現金を自宅の金庫に収納する。

被告人が担当した業務は以上の<1>ないし<11>の事項であったが、これらは何れも、杉本商店における景品交換の現場の営業業務に直接関連した事項であり、被告人が担当したものはこれら現場業務に直結した事項のみであった。

2 杉本商店の営業のうち、被告人が担当した上記業務以外の事項は全て茂子が担当していた。すなわち、

(1) 売上金の管理について

杉本商店の景品交換所の営業による売上は、古屋及び田中により集金後直ちに最寄りの銀行から日本信販信組に振込送金されていたことは前述の通りであるが、右売上金の管理は次のように行われていた。

<1> 本件犯行当時、杉本商店の主要取引銀行は日本信販信組であり、杉本商店の売上金は同信組の普通預金口座に振込送金されていた(茂子の昭和六三年二月一九日付検察官面前調書三丁、高橋義則の同年二月一七日付検察官面前調書四丁)。また、同信組は茂子が直接出向いて取引を開始したものであった。

<2> 日本信販信組に振込送金された売上金の管理・運用のための口座の開設も、被告人名義の預金口座を含めて茂子によって行われていることは同人の昭和六三年二月一九日付検察官面前調書によって明らかであり、高橋義則の同年二月一七日付検察官面前調書の供述とも一致している。

これに対して、被告人はどのような預金口座がつくられていたかという点についての供述を一切しておらず、同人が杉本商店の売上金の管理・運用等に一切関与していなかったことを示しており、このことは、高橋義則の前記供述中に同人と被告人との交渉に関する事項が一切あらわれていないこととも符号している。

<3> さらに、茂子は松本十三男、渡会美都子名義の架空の口座を開いた旨の供述をしているが(同人の昭和六三年二月一九日付検察官面前調書五丁)右供述は、高橋義則の同年二月一七日付検察官面前調書とも概ね一致しており、被告人については右のような架空預金開設に関与したことを伺わせる証拠は全く存しない。

以上から見れば、杉本商店の売上金の管理・運用等については全て茂子がこれを担当し、被告人が全く関与していなかったことはあきらかである。

(2) 杉本商店の営業によって得た収入の使途について

杉本商店の実際総所得金額は、原審判決によると、昭和五七年で七一〇九万円余、同五八年では一億一八九一万円余あったとされるが、右収入の大部分は、茂子によって浪費されていたと言わざるを得ない。

<1> 検察官提出の昭和六三年二月一九日付国税査察官渡邊光治作成の査察官報告書第一五頁の事業主勘定合計明細書によると、同勘定に計上された金額の合計は、同五七年で八六五六万円余、同五八年で九九二九万円余である。

右のうち備品家具費、衣服費、遊興飲食費、デパート買物代だけでもその合計が同五七年で三七六六六円余、同五八年で四二四四万円余に上っている。

この備品家具費等の支出の事業主勘定に占める割合は、同五七年で四三パーセント余、同五八年で四二パーセント余に上り、さらに原判決が示す総所得金額との関係で見れば、同五七年でその五二パーセント、同五八年で三五パーセント余の金額を占める程になっている。

<2> これらの支出については、茂子の昭和六三年二月一一日付検察官面前調書及び同年二月二〇日付検察官面前調書の要を得た供述により主として同人によって行われたことが伺えるが、さらに高橋義則の同年二月一七日付検察官面前調書並びに茂子の同年二月一九日付検察官面前調書の各詳述によれば杉本商店の金銭の借入が後述のように茂子によって行われていることが示されており、上記支出が主として茂子によって行われていることが明らかである。

そして、茂子のこれらの行動のうち、被告人が何らかの関与をしたのは不動産や自動車の購入のみであり、その他の買物等については「茂子が物凄い買物をしていることは知っていましたが、予め相談を受けたり、その支払い方法等を話し合ったことは一度も」なかったものであった(被告人の同年二月一八日付検察官面前調書一〇丁ないし一一)。

従って、杉本商店の得た収入の消費等についても主として茂子によって行われていたと言わざるを得ないものであった。

(3) 杉本商店の借入金について

杉本商店の借入金は、日本信販信組に対するものだけをとってみても昭和五八年三月の段階で、四七〇〇万に上っており、同信組に対する融資の交渉も茂子が行っており(高橋義則の同六二年一一月二六日付検察官面前調書)、さらに茂子の供述によると同信組以外の相手方からも多額の借入を起こしている(同人の同六三年二月一九日付検察官面前調書)。

これに対して被告人は、借入金の内容等に関する供述は全く行っておらず、茂子の前記供述が極めて具体的詳細であることと対比すれば、被告人が杉本商店の金銭の借入に全く関与していないことは明らかである。

(4) 杉本商店の経理について

杉本商店の経理は、全て茂子の指示のもとに行われていたものである。

<1> 杉本商店の経理は、昭和五七年申告分及び同五八年申告分については、手島光春税理士によって行われたものであったが、同税理士に対する依頼は、日本信販信組の高橋義則の紹介により、茂子が行ったものであった(手島光春の同六二年一一月一八日付検察官面前調書)

<2> 同税理士の供述から、同人との交渉は茂子が行っていたものであることが明らかであり、同税理士でさえ「則夫さんは数字のことにはあまり関心がないらしく普段から私の説明を熱心に聞くというようなタイプの人ではありませんでした」と供述している(同税理士の同六三年二月九日付検察官面前調書八丁)

<3> 同税理士は、同五七年については売上帳、仕入帳、元帳を記帳していたが、その売上帳の記載は茂子から渡された物品受領書をもとに記帳していた(同税理士の同六二年一一月一八日付検察官面前調書四丁)。

同税理士がもとにした物品受領書は、栗山昭子の同六三年二月一三日付検察官面前調書と合わせ読めば栗山昭子の供述に言う仕入メモであることは明らかであり、栗山昭子が作った仕入メモは被告人らが作成した納品綴りのうちの物品受領証に記載された景品問屋に対するリンク商品の納品個数に三二〇円を掛け算して作成されたものである。しかも、このように三二〇円を掛け算することを指示したのは、茂子であった(同調書四丁ないし七丁)。

<4> 手島光春は、同五八年分については、元帳のみを記帳し、売上帳及び仕入帳は「舟越さんの方で記帳しておりました」と供述している(同税理士の同六二年一一月一八日付検察官面前調書四丁ないし五丁)が、右売上帳及び仕入帳の作成は、前記五七年分と同様にして菊池圭子が作成したものであった(同人の同六三年二月一〇日付検察官面前調書、同二月一五日付検察官面前調書)。

<5> 以上の記帳の過程において被告人の関与があるとすれば、栗山昭子が仕入メモ作成のもととした物品受領書及び菊池圭子が仕入帳及び売上帳作成のもととした物品受領証の作成に被告人が関与していたということのみである。

しかし、被告人がその作成に関与した物品受領書は、納品書と一体の綴りになっていたものであり、そこに記載されていた金額は景品問屋に対する販売金額でありその単価は三三三円であり、仕入金額が全く記載されていなかったものである。

すなわち、以上の手島光春、栗山昭子、菊池圭子の供述を総合しても仕入単価三二〇円を基礎として記載が行われたことについて被告人が関与したことを示す書証は全くないと言わざるを得ない。

3 以上を総合すれば、被告人は、杉本商店の景品交換業務の現場の営業面を担当していたことは明らかであるが、売上金の管理・運用、その使途の大部分、金銭借入の決定及びその内容並びに杉本商店の経理面は挙げて茂子の手に握られていたものであり、杉本商店の実質的経営者は茂子であって、被告人は言わば営業担当者に過ぎないという実態であった。

従って、被告人は、杉本商店の収支・経理の実情、資金関係の実態等経営の全般についての判断をなし得る立場にはなく、いわんや脱税をすべきかどうかという判断をなし得る客観的立場にはなかったことは明らかである。

4 右に述べた被告人の立場は、被告人の現在の状況を見ればますます明らかである。

被告人は、茂子の迫害に耐えかねて、昭和六一年二月、自宅を出て別居するに至っているが、それと同時に杉本商店の経営から名実共に除外されてしまっている。

さらに、原審判決で言い渡された罰金については茂子が必ず支払うと約束していたにもかわらず、未だにその手当てもしてもらえないばかりか、離婚を迫られている有様である。

このような事実を見るならば、本件所得税法違反事件は、茂子の主導のもとに行われ、犯行発覚後、被告人が茂子を庇うための供述をおこなったものの、茂子が執行猶予の判決を得るや被告人は同人に放り出されてしまったものと言わざるを得ないのである。

二 被告人は、本件脱税の手口との関係から見ても、本件犯行に関与していないことは明らかである。

1 本件脱税の手口は、前項の4の<3>ないし<5>で述べた記帳の過程を通じて行われたものであり、右記帳の過程で被告人が仕入価格三二〇円という記帳を行うことについて全く関与していないことは既に述べた通りである。

2 右の事実は、検察官提出の物証からも明らかである。

被告人は、被告人作成の雑記メモに基づいて整理メモを作成していたことは既に述べた通りである。

被告人は、右整理メモにリンク商品の仕入個数と共に仕入金額の総額を記載していたが、その金額の計算は仕入単価三〇〇円を基礎にして行っていた。

仮に、被告人が仕入単価を三二〇円として申告する意図であったなら、仕入単価三〇〇円とする書面を作ることの危険性を認識しない筈がなく、このような整理メモを作ったこと自体被告人がそのような意図を持っていなかったことの客観的証明というべきである。また、仮にそのような整理メモを作らねばならない必要性があったとしても、自ら脱税をする意図があれば、一旦作成した整理メモを必ず破棄する筈である。

本件では、被告人は、右整理メモの一部が大量に残されたままになっているが、このことは、単に被告人が仕入価格三〇〇円で仕入れていた事実以上の何らの事実をも示すものではなく、いわんや、被告人に脱税の意図があったことを示すものでないことは事実を率直にみれば明らかである。

三 本件犯行の動機について

被告人には、本件犯行に出る動機がなかった。

1 被告人は、検察官に対して、脱税をした動機として<1>ヤクザの関谷耕造対策、<2>旨いものを食べ楽な生活をしたい、<3>足を洗うために資金を作る、という三点を挙げている(被告人の昭和六三年二月四日付検察官面前調書九丁)

2 しかし、右はいずれも被告人自身が脱税を図る動機として取り上げるにはいかにも希薄なものと言わざるを得ない。

(1) 被告人が関谷に対して支払っていた金額は、昭和五一年ころ以来同人の妻の家賃、生活費として月々三五万円ないし五〇万円であった(被告人の昭和六三年二月五日付検察官面前調書第一八丁から同一九丁)が、その後同五八年三月、被告人が井上病院を退院後、関谷から脅迫を受けた後の話し合いで月五四〇万円を支払う合意をして同金額を二ヶ月間支払ったが、その後二九〇万円の金額となっている(同人の同月一三日付検察官面前調書三八丁ないし同四五丁)。

関谷の被告人に対する右要求は、不当なものであり、その金額も少額でないことは確かであるが、原判決の認定した総所得金額を基礎として少なく見積もっても、その所得金額は昭和五七年で一ヵ月約六〇〇万円、同五八年で一ヵ月約一〇〇〇万円であった。

従って、関谷の要求により同人に支払う金額が増額された同五八年をとってみれば、関谷の要求はいかにも過大であるとしても、杉本商店の収益から見れば決して支払えない金額とは言えないのである。関谷に対する月五四〇万円の支払いは二ヵ月で終わり、その後は月二九〇万円となっていることからすると、関谷対策が本件犯行の動機と見ることには無理があると言うべきである。

そもそも、脱税の事実は同五七年分の申告からあったものであり、その当時の関谷に対する支払額は月三五万円ないし同五〇万円であったものであり、杉本商店の収益から見て決して支払えない無理な金額ではないことは明らかである。

やはり、関谷対策が脱税の動機の一つと見ることには無理があると言わざるを得ない。

(2) 旨いものを食べ楽な生活をしたいということが本件犯行の動機と見ることは、被告人に関する限り全く事実に反する。

確かに、被告人も社会一般の常識から見れば、相当な浪費をしていたと言わざるを得ないであろう。しかし、前記査察官報告書により事業主勘定に計上されている項目のうち奢侈費と目される項目の支出は、その殆どが茂子によってなされたものであることは、明白であり、このような茂子の浪費に対して被告人が内心批判的であったことは被告人が同人の同年二月一八日付検察官面前調書一一丁の裏で供述している通りである。

茂子による浪費は、前記査察官報告書によって確認されているだけでも前記一項の2の(2)<1>記載の金額に上っており、仮に脱税の動機があるとすれば、被告人ではなく、茂子の浪費のためと見るのが事実に合致していると言うべきである。

(3) 景品交換業から足を洗う資金を作るためということも、被告人にとって脱税の動機とはなり得ない。

確かに被告人はクラブ経営を試みる等景品交換業から離れたいという意思をもっていたことは否定しがたい。しかし、被告人が右交換業からいかにして足を洗うか、足を洗って何をするのかという明確な方針を持っていた形跡は全くない。逆に、一旦はクラブ経営を試みたものの、それに失敗すると容易に景品交換業に復帰しているのである。

本件犯行を犯すことが、被告人にとって如何なる意味で景品交換業から足を洗うことに結びつくのか、原審記録からは全く明らかでないと言わざるを得ない。

被告人及び茂子が、三越の口座を取るために同店から買物をする必要があった旨供述している。

しかし、同店の口座を取得して、同店で販売する権利を得たことによっても全くと言ってよい程、転業への展望が開けなかったことは明らかである。

茂子が三越の口座を取得するための多額の買物をしたことを(三越によるいわゆる悪徳商法に乗せられた側面を否定し得ないが)被告人による本件犯行の動機とするのは、茂子の浪費、あるいは茂子に三越の口座を取得したいという願望があったこに籍口して被告人の動機とすりかようとするものと言わざるを得ない。

(4) 結局、前記<1>ないし<3>をもって被告人による本件犯行の動機とすることは無理であり、仮に、本件犯行を犯す動機を有したものが存したとすればそれは茂子以外には存せず、その動機は専ら茂子の浪費のためといわなければならない。

四 昭和五七年五月下旬か六月初めころ、被告人が茂子に対しリンク商品の仕入値を「三二〇円」で帳面につけてくれと指示した旨の茂子の供述(茂子の昭和六三年二月一六日付検察官面前調書一一丁ないし一三丁)は全く信用できない虚偽の供述である。

1 茂子の被告人とのリンク商品の仕入値を虚構する共謀の自白調書は右に引用した調書のみである。この調書は、仔細に検討してみると、右被告人の指示に対し、

「私は主人の言うことに反対していませんでしたから

ああ、そう

と答えたと思います。」

となっており、又

「その当時、私は主人と話をするのが嫌でしたので、あまり話をしなかったと思います。

これは夫婦間が冷えきっていたためです。

普段の生活でも必要最低限の会話しかしておりませんでした。」

となっており、本件犯行の核心的合意である仕入値の水増の共謀が、被告人の指示に対し、茂子が特に反対もせず、又つっこんだ打合わせもなく「あっそう」程度で済んだことになっている。

2 ところがこれに対応する被告人の自白は二ヶ所あり、一つは昭和六三年二月四日付検察官面前調書であり、二つは同年二月一三日付検察官面前調書である。前者は

「昭和五七年春ころ、私と茂子が今述べた三つの点を話し合った結果、仕入値を誤魔化すことにしたのです。

膨らませる幅を二〇円としたのは私の直感であり、茂子に三二〇円でいいんじゃあないかと口にし、それで金額がきまりました。」(同調書八丁)

となっているのに対し後者は

「そんな訳で私は、茂子に

仕入の帳面付けは三二〇円にしておけば良いじゃないか

と言っておきました。

茂子は

何それ

と口にしてきたことを覚えています。

その意味は、一つに

仕入値の水増しということは

脱税しろということじゃないの

私は、そんなことに手を出すのは嫌よ

という反対する意味と、二つに

私は、元々リンクを反対したじゃないの

という私のやり方に対する批判の意味もこもっていました。

しかし、私は関谷との裏話こそ持ち出しませんでしたが

いろいろ金がかかるから

その様にすれば別の商売の資金ができるじゃないか

と言って説得しました。

茂子は憮然とした表情でした。」(三五丁乃至三六丁)

この被告人の二つの自白そのものが明らかに違っている上に、前述した茂子の自白とは全く違っていることが一目瞭然である。

被告人の自白は、二人で相当話し合って決めた形跡があること、茂子が反対の感情をあらわにしたこと、その点で、茂子の自白とは決定的に異なっている。

これは、まさに、被告人が茂子をかばうため虚偽の自白をし、捜査官の誘導により茂子がこれにあわせた自白調書をとられたもので、真実の自白でないため、ニュアンスの違いや具体的話のやりとりを合致させることが出来なかったことの証左である。

五 一審における被告人の弁護状況について

被告人は、既に述べて来た通り、捜査段階より茂子をかばい、家庭の崩壊を免れるため、自ら主導的に本件所得税法違反の行為をなしたとの虚偽の自白をし、そのことが一審の判決を事実誤認に導いたのであり、その点での被告人は批判を免れないが、事実の発見を困難ならしめたもう一つの大きな要因は、茂子及びその弁護人の行為にもあると言わなければならない。中村弁護人は、茂子の顧問弁護士として昭和五七年のころより交際し、ひんぱんに飲食し、代官山の事務所をサロンとして会合を重ねていたもので、国税庁の査察が入った頃より、茂子は本件に関し、同弁護士とひんぱんに打合わせをしていたが、被告人はその打合わせに参加させてもらったことはほとんどなかった。しかし、数度の打合わせの際、被告人は同弁護士に対し、「茂子を救うため、自分がやったことにする。」旨の話をしており、同弁護士は、被告人が本件所得税法違反事件に関与していなかったことを知っていたことは確実である。しかも被告人が逮捕された後しばらくは、中村弁護士が被告人に接見しており、中村弁護士の紹介により、黒須弁護士が被告人に接見したのは逮捕後一一日目の昭和六三年二月一三日が初めてであった。被告人の言によれば弁護人から詳しく当時の営業の実態や税務申告の内容について、聴取され、打合わせをした記憶はほとんどないとのことである。一審の弁護士費用五〇〇万円も全て茂子が負担し被告人は一切負担していない上、一審の弁護は茂子を如何にして実刑から免れさせるかという方針の下に、茂子の主導の下になされたことは確実である。

第四 当控訴審の役割

以上詳述した通り、一審判決には重大な事実誤認と法令違反の誤りがあり、その誤りが判決に影響を及ぼし、被告人が無罪の可能性があることが明らかである。

当控訴審の役割は、一審において、全く疑問すらさしはさまれず証拠として採用された膨大な供述調書及び公判調書を改めて、予断を持つことなく検討し、真実の発見に大胆に取り組むことである。とりわけ、被告人が控訴審において、しかも控訴趣意書提出期限後、悩みに悩んだ上、一転して無罪を主張するに至り、且、弁護人も交替するという特殊な本件のケースにおいては、裁判所におかれては、職権を行使して真実の発見のため、全面的な事実調査をすべきものと思料する。仮に、右真実発見のための努力を怠り、被告人の主張を予断をもってしりぞけるとするならば、誤判の過ちを犯し、重大な人権侵害を起こしかねないと言わざるを得ない。裁判所の慎重な審理を切に望むものである。

以上

昭和六三年(う)第一〇九六号

○証拠調請求書

被告人 舟越則夫

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、左記の証拠の取調べを請求する。

平成元年五月一七日

右弁護人 秋廣道郎

同 大島久明

東京高等裁判所 第一刑事部 御中

証人

一 世田谷区経堂四丁目二番三号

証人 手島光春

立証趣旨

同人の昭和六二年一一月一八日付及び同昭和六三年二月一九日付各検面調書の信用性がないこと

同人が茂子と共謀し、本件所得税法違反の犯行をなしたこと

被告人は右犯行に関与せず、又、知らなかったこと

二 世田谷区下馬二丁目四番九号

証人 栗山昭子

立証趣旨

同人の昭和六二年一一月一九日付及び昭和六三年二月一三日付検面調書の供述に信用性について

被告人が、本件所得税法違反の犯行に関与していないこと

三 狛江市東野川一丁目三四番一一-二〇三号

証人 菊地圭子

立証趣旨

右二、に同じ

四 世田谷区経堂五丁目二三番一三号 サタマンション四〇一号

証人 梶間勝美

立証趣旨

同人の昭和六二年一一月二一日付検面調書(二通)の供述の信用性について

被告人が、本件犯行に関与していないこと、又知らなかったこと

五 千代田区神田東松下町一九番地 栄ビル

証人 中村浩紹

立証趣旨

舟越茂子及び被告人と証人の間は舟越茂子の顧問弁護士であること

本件事件につき茂子の弁護人にいつなり、どのような打合わせをしたか

被告人とどのような打合わせをしたか

六 世田谷区桜丘三丁目三二番二号

証人 舟越茂子

立証趣旨

同人の昭和六三年二月八日、同二月一一日、同二月一五日、同日、同二月一六日、同二月一八日、同二月一九日、同日、同二月二〇日、同二月一七日、同二月二〇日付各検面調書の供述の信用性がないこと

杉本商店の景品交換業の実態と、証人と被告人の役割分担について

杉本商店の売上金の運用・使用について

会計の処理と申告手続について

本件犯行の動機、態様、手口、脱税した金品の費消について

原判決後の情状

七 世田谷区桜丘三丁目二九番三三号 シティハイム桜丘二〇二

被告人 舟越則夫

被告人の昭和六三年二月四日、同二月五日、同二月八日、同二月一三日、同二月一五日、同二月一七日、同日、同二月一八日、同二月一九日、同日の各検面調書の信用性がないこと

被告人が本件犯行を知った時期、経緯、被告人と茂子の虚偽の自白を打合わせた時期、内容等について

一審の弁護の状況について

杉本商店の営業の全般について

税理士手島光春の役割について

田中捷侑と茂子との関係について

一審判決後の被告人及び茂子の状況について

虚偽の自白を撤回するに至った経緯

原判決後の情状

その他

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